12年ぶりの担任に会いに行く

 toitoiで初めて友達との遠出を体験した。よく考えてみたら、積極的に誰かに会いにいくとことを、そもそも考えたことがなかった。今年の夏休みは今までと違うことをしようと思った。

 わたしは情報がとても多いところに行くと、わけがわからなくなってしまう。暴れるとか、叫ぶとか、そのようなことはしない。というか、声も出ない。海やプールで溺れる時、苦しんで暴れたりせず「静かに沈んでいく」と聞いたことがある。情報の波に襲われて溺れるわたしは、まさにそんなふうだとと思う。

 誰かに呼ばれてもまったくわからない。わたしは空っぽになってしまう。身体の中が足の先から、頭のてっぺんまで全部が周りの情報で埋まる。わたしの中にみっちりとノイズが詰め込まれる。わたしという椅子にノイズが座ってしまう。

 そうなったわたしは、家族に呼ばれても気がつけない。果ては、目の前の電信柱も、壁も人も避けられなくやる。主にこれが原因で、ひとりでどこかに出かけることはあまりなかった。通い慣れた学校や、塾や病院などはやり方はインストール済みなので、大丈夫だ。

 前置きが長くなったが、この夏休みは、会いたい人に会いに行こうと思った。

 昨日、幼稚園の時の担任の先生に会いに行った。事前に約束をして。この約束を自分からとりに行くというのも、あまり上手くない。幼稚園一年目の担任と、二年目の担任がいる。その二人が、いま現在同じ幼稚園に働いているという。だからそこに会いに行った。

 先生のうちの一人は、「自閉症を持つ私から見た日常」が賞をもらったとき、手紙をくれた。それを以下に転載する。なぜかというと、なるほどと思ったからだ。転載許可は昨日もらった。紹介する代わりに読んでほしい。

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 そうまくん!お久しぶりです。お元気ですか?

 突然ですが、とても長い文章になってしまうかもしれないけれど、時間がある時にゆっくり読んでくれたら嬉しいです。

 さっきね、私が今働いている幼稚園の先生が、この思いは私たち知っておかないといけないよね。と言って共有してくれたことがあって。それが作文コンクールの文部科学大臣賞作品に選ばれたそうまくんの作文だったんだよ。ビックリしてね、勝手ながら読ませていただきました。

 そうまくん、ありがとう。涙がボロボロ溢れました。居ても立ってもいられなくてLINEを送ります。

 幼稚園の頃、自分の思いをうまく伝えられなくて大泣きしていたそうまくんが、こんなふうに自分の想いを言葉で紡ぐようになったということが、まずとにかくうれしかった。整理できない気持ちもたくさんあると思うけれど、(私もあります)そうまくんの言葉一つひとつが心に突き刺さりました。

 そうまくんの作文を読んで、そうまくんの想いを受け取った私の職場の先生たちの心も揺さぶられていました。
私たちは今目の前にいる子どもたちの抱えているこんな想いをきちんと受け止められているのかな、気持ちを全てわかることはできないかもしれないけれど知ろうとしているのかな、ってみんなが考えるきっかけをもらいました。

 この作文に出会って、きっと明日から私たちの子どもたちへの関わり方が変わります。関わり方が変わればきっとほんのちょっとでも子どもたちが生きやすい未来が広がる。そうまくんの作文が、そうまくんをはじめ、未来を生きる子どもたちを救うんだよ。すごいことです。本当に。きっとこの作文を書き上げるまでに苦しいこともあったかもしれないですね。でも私はこの作文に出会えて、何よりそうまくんに出会えて本当に幸せだ!って改めて思いました。

 そうまくんの発信してくれた想いをしっかり受け止めて、私は自分の場所で自分に何ができるのか、を考えながら生きたい!です。

 そんな今の気持ちを伝えたくて。遅い時間に長い文章でごめんね。またゆっくり会えたらいいなぁ。お勉強やいろんなこと、そうまくんらしく楽しんでね。本当に本当に、心からありがとう!!

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ここまでが先生の手紙の引用だ。

 わたしは幼稚園の時、主に暴れていただけだ。いつもみんなと違う場所で、好き勝手に遊んでいた。みんなが遊んでいるのを眺めていたりもした。わたしが考えると、とくに面白い話はないと思う。

それなのに、この手紙を読むとドラマチックだ。何かが起こっている。

昨日、幼稚園のインターホンを鳴らした。そしたら知らないひとがでて、中に通された。エアコンの効いた静かで広い玄関で先生二人を待った。しばらくして、遠くの方から賑やかな声がした。

  子供がグラウンド遊びに来たと思った。こちらは逃げる構えをしていた。うるさいのは苦手だ。けれど先生やったから、安堵した。何年経っても、昨日のわたしを迎えるみたいに笑顔であった。たくさんの子供の世話をして、その中のひとりでしかないのに。

 会話をすると当時に戻ったみたいだった。話すうち、現在の自分の中身が当時と何も変わっていないと感じた。会話が続けられない、よそ見を常にしている、外にある遊具を見て遊びたいと思っていた。17歳のわたしが消えてしまった感覚があった。わたしは果たしてこんなガキのままで良いのかと焦りがわき起こった。

 地元の幼稚園が、統廃合でなくなってしまうと聞いた。思い出のものがどんどん頭の中だけのものになってしまう。リアルから消えてしまう。幼稚園がなくなるということは、わたしが幼稚園に通っていた事実が「幼稚園に通っていなかった」ということに書き換えられる気がした。わたしが書いた本の前半が、嘘に書き換えられたという考えもわきおこった。そのように、現実と思い出の行ったり来たりで忙しいわたしに押されながら、わたしは立っていた。

 わたしはそのように、あやふやな存在で立っていた。だが、先生二人はまったく揺らがず笑顔の存在だった。