朝井リョウさんの文庫の新刊が出たと聞いて、本屋さんに行ってきた。
わたしは朝井さんの著書をたくさん持っているつもりだったけど、実はエッセイを読んだことがないと気がついた。読んでびっくりした。大笑いだった。
わたしは人の話を聞き取るのが上手くない。でも朝井さんのエッセイを読むと隣で面白い話をされているみたいだ。リアルで面白い話をされても、多分こんなに理解できない。文章だったら全部わかるかというとそうでもない。
「小説家に来るファンレターの内容」の話が面白かった。感想が書いてあるかと思ったら、身の上話が多いらしい。なぜ知らない相手に自分の話をするのだろう。知らないからするのか。作家に文章を書いて送るのはなんだかドキドキする。しかも書いた本人は覚えていなかったりするらしい。
でもこのエッセイを読むと、わたしも自分の失敗した話がいくつも浮かんできた。それを回想していたので、そうしてしまう気持ちもわかる。「実は朝井さん、僕もこんなことがあったよ」と頭の中ですでに話し出している自分がいる。なるほど。
するする書かれている朝井さんの愉快なお話は、読んでいる人を喋らせる魔法があると思った。そこに生きている朝井さんが居て、一緒に笑ってる。
ここで先日のtoi-toiの話に戻る。
放映された放送を何回か見た。朝井さんと話しているわたしは、朝井さんを見ていなかった。わたしは朝井さんをずっと見つめていたつもりだったので、驚愕だった。
自閉症の人は相手の顔をあまり見ない。自分も見ていないとよく言われる。でもそれを実際、自分の姿を視覚的に確認してしまった。わたしはびっくりするほど相手の顔を見ていない。
わたしの目の中にはビー玉が入っていて、それはゴロゴロといつも転がっている。ほんの一瞬、朝井さんの顔を見て、スルッと違う方にビー玉が転がっている。それに対して朝井さんは、いつもわたしの顔を見て一生懸命お話ししてくれていた。
自閉症の人が相手の顔を見ないのは何故だろう。わたしの場合は赤い線が相手の目から出ていて、目視するとその線が刺さってしまう恐怖がある。会話をしている間に、時間の流れがわからなくなって、時空の中で溺れてしまう。時計を見て助からなければ。あの日の会場には動いている時計がなかった。置いてあった振り子時計は止まっていた。経過する時間が捕まえられなくて、息ができなくなる。
なぜわたしはここにいるか、この場所はどこなのか。NHKの撮影で東京に来て、朝井リョウさんと会ってお話しする機会を得た。それを知っているのに、NHKの撮影で、目の前にいるのは朝井リョウさん。というようなことを、朝井さんのお話を聞きながら高速で繰り返し考えていたのは覚えている。
わたしは朝井さんのお話を必死で聞いていた。話してくれた何割を聞き取れていたかわからない。映像で見ると、聞いている感じがあまりしない。「なるほど」「あー!」と返している自分がいるが、「大丈夫か!?」と突っ込みたくなる。
いや、本当に大丈夫。わたしの中にあの日の朝井さんの言葉は、放映された以外にもたくさん残っている。とても大切な言葉だ。
でも不思議である。目の前でお話ししてくれた朝井さんよりも、エッセイの中で話す朝井さんの方が距離が近い。干渉して妨害してくるものがない。エッセイの朝井さんの言葉は、とても捕まえやすくてわかりやすい。当たり前だと言われるかもしれないが、言葉がキャッチしやすい形になって朝井さんから出荷されている。
あ、そうだ、朝井さん、Amazonの日本文学のランキングで、朝井さんとわたしが並んでいました!リアルで隣に並んでいるみたいで嬉しかったです。
