朝井リョウさんのサイン会

 「梅田のサイン会、当たったから行きます」と朝井さんに連絡したら、応募してくれたのビックリだって言ってもらった。そして当たったから、もっとビックリだそう。普段は東京に居る朝井さんが大阪に来るのが嬉しかったし、作家生活15周年のお祝いを伝えたいと思ったので、伝えられて良かった。

 梅田は普段、避けて通る場所だ。東京駅と同じで、何にも考えられなくなる喧騒が、空気の端から端まで満ちている。濃い液体の中をたくさんの人間が歩いている。息もできない。いや、ほんとはできているから、そういう気持ちになるだけだ。

 久しぶりの大きい本屋さんだったから、いろいろ見ようかと思っていた。だけどたくさんの本が次々とわたしを呼んでいて、手に取る隙がない。だからわたしは本の表紙と背表紙だけを高速で眺めた。全体が一つの模様のようにしか感じなかった。でもすごい。生物コーナーを通りがかったら、魚だけでぎっしりひと棚あった。関西の出版社の特集本棚もあった。出版社の所在地で特集するとか考えたことがなかった。物の見方が変わる感じはいつも不思議だ。

 朝井リョウさんの新刊『イン・ザ・メガチャーチ』のポスターに以下のように書いてあった。

「中毒症状がある方が苦しくないのだ、人生は」
「神がいないこの国で人を操るには、物語を使うのがいちばんいいんですよ」

 すごいかっこいい文章だ。

 自閉症のわたしは、生きた誰かの物語を読むのが上手くない。小説は文字に書いてあるから読むだけだ。社会で出会う人たちも、みんなそれぞれ物語を持っているのだ。はじめてそのことを考えた。でも文字に書いていないからなかなか読めない。この話をしていたら、わたしは人間の背景にある物語を想像することを意識するべきだと言われた。かなり難しい。できなくても意識する。こう考えると、わたしは操られにくいかもしれない。物語が見えにくいから。

 とても好きな「推し」が居たら、ずっとその推しのことを考えているだろう。基準が推しになるから、一つずつの判断をゼロからしなくていい。推しはきっと物語がわかりやすくあって、普通に存在する友達よりも読み取りやすい。そういえば街にあふれているデマや陰謀論みたいなのも、物語なのかもしれない。あらかじめ組まれた物語に住む。下絵が描かれている絵をなぞるみたいに暮らすのかもしれない。

 わたしにとって、出来事は文字に書いてもらうことでわかりやすくなる。曖昧だったものに色がついて、話し出すみたいだ。小説以外にも物語があると言うことを、わたしは今日、意識した。

 わたしは新刊『イン・ザ・メガチャーチ』をいろいろ想像してから読みます。また朝井リョウさんに会えて嬉しかったです。