「風の電話」を知って

 「風の電話」という番組を見た。東日本大震災の被災地に設置されている電話である。電話であるが、回線がつながっていない。しかしその電話には遠くからも利用者が集まる。海の向こうからも来る。そして繋がっていないのに、受話器を取って話をする。

 わたしは人がいても、いなくても同じように話してしまう。相手に向かって話しているつもりが、独り言のようになる。相手のことを意識に置き続けるのが難しい。

 「風の電話」は、わたしと反対のタイプに向けた装置だ。電話ボックスの中で、他者の目を気にせずに一人で話すのだ。壁に向かって独り言を言うのはやりづらい。受話器を持っていたら、きっと話せる。

 しかし、風の電話の受話器からは、何も聞こえてこない。

 例えばである。わたしは日常のふとしたところで、母親の「前を見て!」「そこ段差があります!」等の声が聞こえる。母がいない場所でそうなる。その声に助けられて、生きている。(このシリーズには「いまあなたにお話をしています!」「質問をしています」「あなたはいま眠っています、起きてください」等々、きりなくある。)

 わたしの中には、母親のバックアップがあると思う。パソコンのデータを失わないためにとる、あれである。一緒にいなくても、母はわたしのそばで話をしている。このわたしの体験により、風の電話も成立する。

 逆のことを言うが、受話器の向こうからは、きっと返答がある。この回線は自分の中に繋がっているのだ。

 未来、いまのわたしの生活には終わりがある。その時を迎えるのはいつかわからない。家族の余命宣告がされていれば、心の準備ができるかもしれない。しかし、3.11のように、突如多くの大切なものが失われたら。

 大切な人に向かって喋っている。沈んだ心で、動揺し、震えている。けれど、伝えたい事を明確に話している。これにはすごく驚いた。ボロボロと崩れている心から、自分の言いたいことを見つけている。

 わたしはすぐ泣いて逃げる部分がある。彼らは元から強いわけではない、強く生きなければならないことを強制されている。望んでいるわけがない。大切な人が、物が、消えてしまった。だけど、別れの時間がなかった。

 311のその日、わたしは腕をすごい勢いで引っ張られたことを覚えている。後になって聞いたところ、ガラスの破片が飛び散った床に裸足で駆け出した。だから、家族は必死で止めた。床にガラスがある。そこに小さな子供が駆け出す。ただそれだけでも、想像すれば果てしなく怖い。あの日、どれだけの恐怖があったのだろう。

 人は、本体はいなくなっても生きている場合がある。誰かの中に人物像が残っていれば、生きていると考えられる。それが「バックアップ」だ。そのバックアップから、再生され、再会できる。そしてゆっくりとお別れをするのか。いや、わたしはお別れをしなくても良いとも思う。わたしの家族だったら、ずっとお話をしていたいと考える。

 異界に繋がる電話。わたしの中の発達君の声も拾えるだろうか。私の中にいる様々な年齢の私にも繋がるだろうか。最近、わたしの中の幼いわたしが言うことをきかない。わたしも、もういない祖父に電話をしてみたい。そして、わたしの中のわたしにも電話をしてみようと思った。


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