自転車の充電池を持ったままバスに乗ったはなし

 こないだの小さい事件の話をする。私はバスに乗っていた。駅前で母と待ち合わせだ。母は自転車で、わたしはバス。車窓からは桜の花吹雪が舞っているのが見えた。あぁ、春だなぁ。気持ちよく、ぼーっとしていた。しかし、左手はなぜか重い。視線を感じて車内を見ると、数人が私の左腕を見ている。「また出血したのかなあ」と思ったが、痛みを感じなかった。わたしは普段から爪を噛みすぎて、知らぬまに血が出ている。今回はそうでないようだ。きっと、疲れているからだろう。そう思って視線を窓に移した。

 とあるファミリーレストランを過ぎ、バスが次のアナウンスを始めた時、鋭く重い音が私のカバンからなりだした。私の携帯が何か焦りを感じさせるように振動している。画面には大きく母の写真と文字が出ていた。バス車内で携帯の着信音はかなりの迷惑だ。色々なところから教わったから分かる。急いで指を赤の切るボタンに近づけた。が、ここで私は考えた。基本、母は電話をかけてこない。何か異常があったらかけてくるのだ。そこで、何かあったのか?とおもい、着信音が一周すると同時に緑色の出るボタンを押し、仕方なく出た。

私『もしもし、今バスの車内なんだけど? 迷惑だから後でかけ直すわ』
母『あなた…自転車のバッテリーはどこにやったの?見当たらないけど?』

 え? 自転車のバッテリーは出る前に、ちゃんと自転車にセットしたはずなんだけど…。

 実は家を出る前、母から「家を出る時に自転車のバッテリーをセットしておいてくれる? 落下させないでね。」と頼まれていた。バッテリーを充電器から外したところまで覚えている。ふと自分の膝の上を見てみると、セットしたはずの自転車のバッテリーが重く横たわっていた。ここに持ってきた覚えはまったくない。自転車にセットしてからドアを開けた時、バッテリーは逃げ出して私のところについてきてしまったようだ。すぐにスマホを耳に当て、応答した。

私『…なんか、僕の手元にあるみたい…ついてきちゃった…』
母『…』
私『とりあえず、ここバスだから切るね。』プツン。

 大急ぎでわたしの膝で呑気に眠りこけているバッテリーを撮影し、母にメッセージを送った。すぐに返信が来た。

 (いつものショッピングセンターへ来てください。わかった?)

 すぐに降車ボタンをおし、バスから落ちるように降り、ショッピングセンターへ向かった。待っている間、色々考えた。どうやったらバッテリーがここへやってくるのだろか? 色々な事例を振り返っていくうちに、とある結論に辿り着いた。

 きっと、バッテリーをセットしたと錯覚し、わたしはバッテリーを持ったまま家を出てしまったと考えた。この意見は色々と辻褄が合う。左手が重く疲れていると感じたのは、多分だがバッテリーを持っていたから。変だと思った数人が、わたしの左手を見たから視線を感じたのか。

 しばらくすると、ただ重いだけのバッテリー無し電動自転車に乗った母が息を切らしてやってきた。

 「こんな事例は初めてだね」
 「ごめん」
 「面白かった」

 バッテリーをさし、電源を押した。すううううううん。電気の流れる音が聞こえた気がした。母は河辺の傾斜5パーセントくらいの坂を、必死に重い電動自転車で登ったそうだ。母には申し訳ないことをしてしまった。朝の登校時にはたまにゴミ出しを頼まれて、そのまま学校に持って行かないようにと繰り返し言われる。さすがの母もバッテリーを持ってバスに乗るとは予想しなかったようだ。

 わたしの日常は意外なことがたくさんある。歩いていると突如、電信柱が目の前に現れたり、壁が現れたりもする。電信柱や壁は動かないから、わたしが見ていないだけだと知っている。だがわたしは激突する。だからわたしは自転車に乗らないでバスに乗るのだ。意識は失っていないけれど、まったく目に入っていない事態がしょっちゅう起きる。自分がやっていることも、追いきれない。そんな話あり得るかと疑問に自分でも思う。