胸を打ち抜くのはだめだと思う

 ゴッホ展に行ってきた。

 学校の長期休みは、展覧会に行くのが好きだ。なぜなら静かだからだ。混んでいても、比較的静かなのだ。常設展などに行くと、沈黙の音がシーーンと聞こえる気がするくらいに静かである。わたしの仲間の聴覚過敏の皆さんにおすすめである。空気もピンと張ってきれいで、チリ一つ落ちていない。

 絵画は難しいと思うかもしれないが、わたしも詳しくはわからない。学校の美術の授業で習ったことしか知らない。きれいだなぁとか、怖いなぁとか思って眺めている。

 ゴッホ展は混んでいた。有名な絵が、すぐ手を伸ばせば触れられる距離に展示されていて、不思議だった。有名人がそこに立っているような感覚だ。通常は一つの壁に複数の絵が展示されている。けれど、ゴッホの作品の中でも有名な作品は一つの壁に、一つだけだ。わたしにもその作品が特別だとわかる。

 触れたらあぶないから、離れていた。「近くに寄って見て」と家族が言った。ここまでは近づいていいとラインが引かれているから、そこまで行った。無数の点が見える。点ひとつづつ、色が違う。人間の肌なのに、青や緑も塗ってある。
 
 物体が全て点や短い線でできている。輪郭がない。わたしの書く絵と大違いだ。わたしは糸を引くように人を書く。全部が輪郭線だ。ゴッホの絵の中に私の絵を入れたらどうなるか。多分ケンカを始めるのではないか。

 セーヌ川も赤や黄色など、明らかに一般的に川の色で思いつかない色が散乱している。一歩進んだら、異変が落ちているわたしの日常みたいだと考えた。じっと見つめていたら、油絵の具のおうとつが全てわたしに向いていることに気がついた。自分が川の中に浸かって、立ったまま流されていく感覚がやってきた。

 ゴッホが精神病院から見た景色は、色褪せていた。わたしが学校でコース変更になったときに見えた景色のようだった。未来の道が点滅して掴めなくなった。不安定で立っていられない。ゴッホの絵は不幸せだ。瞬きをすると絵が変化する感覚もある。生きているようで怖い。

 彼の人生はひとりぼっちかと思ったが、弟や家族がずっと支えていたそうだ。すごい絵を描いて、家族もいて幸せそうであった。だけど、ひとつの部屋に入ったら動くひまわり畑の映像が流れていた。その映像の中でゴッホは自分の胸を突如撃ち抜いて死んだ。わたしと同じように、先にある不安に耐えられなかったのかと想像した。自分を撃ち殺すのは、人生がもったいないと思う。

 とんでもなく暗い気持ちになって、歩いていたらもうゴッホ展の順路は終わりだった。出口を出ると、ミュージアムショップだった。そこにはリラックマと、すみっコぐらしのゴッホ展限定コラボのぬいぐるみが山盛りになっていた。キイロイトリがひまわりのかぶりものを付けている。なんだかちょっと馬鹿らしくなった。

 ぬいぐるみ好きのわたしだが、胸を撃ち抜いた直後には買う気にならなかった。だけど、ゴッホらしき小さな編みぐるみが売っていた。胸には小さなひまわりが付いていた。穴が開いた胸の傷を、ひまわりで隠してると思った。