入学式に居場所がなかったはなし

 わたしは高校1年生になるまで入学式をまともに受けたことがなかった。それに気がついたのはついさっきである。逆に言うと、高校の入学式はなんの問題もなく、目立つことなく新入生の一人として参加できたのである。

 4歳の時の入園式は、本当に何もわかっていなかった。いきなり幼稚園に放り込まれたも同然だった。なので何をしていたら良いのかわからなかった。みんなでお歌を歌ってても、1人だけお外を向いている写真が残されている。外を眺めても、その間はポケットティッシュをいじくり回していた。たった15分しかないはずの入学式が5時間あるかのように感じた。

 なぜみんなと同じ行動をしなくてはならないのか。周りの頭が黒くてうるさい生き物は何だろう。今となれば、それはそれぞれがひとりの人間だ。それを当時の自分に教えてあげたい。お教室に帰っても、円に並べたお椅子に座らず、マッハの速さで真っ先に外に出てブランコに乗ったのを覚えている。

 それから2年を経て、小学校入学。成長したかと思いきや、そうでもなかった。支援級に入ることが決まっていたわたしは、入学式の前に教室を下見をさせてもらった。教室は、昔話の馬小屋みたいだった。とても安心できる環境ではない。体育館はもっと酷く、ペットショップのような臭いがする。上を見上げると石油ストーブのように大きくて明るいライトが何個も睨みつけるように光っている。そして、電気は低くジーーーーーっと唸っているのが聞こえてさらに怖かった。それらは、私の気持ちを孤独にした。

 さらに、わたしの足元を冷気に晒す小さな窓も怖い。体育館の足元の高さにある小窓のことだ。あそこから吸い込まれたらどうしよう。そのような不安の中で、4個くらいの黄色いみかんが天井の骨組みに散らばって挟まっていた。私は今もその挟まったみかんが欲しい気持ちを覚えていて、また欲しくなる。もう気づいたかもしれないが、それはもちろんみかんではなく、ボールである。

 そして入学式の日になり、最初は、階段のようなキラキラした椅子に座っていた。これは後ほど知ったことだが、雛壇というらしい。そして、沢山の保護者が座る風景を見て、暇つぶしをしていた。次の瞬間、誰かが去っていくのを見た。それは「出ていいよ」というサインだと捉え、一緒に出ようと駆け出した。しかし先生に早々に捕まり「まだだよ」と言われ戻された。そこまでは覚えている。

 中学校の入学式では、宣誓をやらせてもらった。自分の作文を初めて人前で読み上げたのは、あの時が初めてだったように思う。わたしは幼い頃から、ピアノやバレエで舞台に立つのが好きだったので、とても嬉しかった。舞台に立つときは、何があってもしっかり役目を果たすように教わっていた。その教えを守っていたけれど、入学式にみんなと同じにできたのかは、わからない。

 中学校3年間で、人生と友達関係と世の中を学んだ。いよいよ高校生になった時、入学式は新たな人生をスタートさせる大切な式と考えて参加した。そして、初めてみんなの中に入ることができた。今、何かに馴染めずにひとりぼっちのようになってても焦らないでほしい。時間をかけて、自分も、自分が見ていた風景の一部になれた。これから先も、たくさん時間がかかるかもしれないが、友達の存在を知りながら過ごして行きたいと思う。

(午後5:19 · 2025年4月2日 Twitter X 自閉症啓発デーに寄せて)